韓国系アメリカ人(かんこくけいアメリカじん)は、大韓民国に血統的由来を有するアメリカ合衆国市民。英語におけるKorean Americanの訳語として当てられることが多いが、これは民族的にKoreanの出自を有するすべてのアメリカ人(在日コリアン、中国朝鮮族、大韓民国成立以前の朝鮮半島から移住した人、脱北者などに出自を有する、韓国(大韓民国)系とは言い難い人)を含意し得るため、英語をそのまま音訳したコリアンアメリカンや韓朝鮮系アメリカ人などという語が当てられることもある。
現状
2000年の米国国勢調査では韓国系アメリカ人は約110万人とされ、カリフォルニア州、ニューヨーク州、ニュージャージー州に集中する。また2003年の韓国外交通商部(省)の発表では韓国系アメリカ人および在米韓国人の総数は 2,157,498人とされている。移民の波は現在も続いているが、冷戦体制の崩壊や韓国の経済成長により、近年は韓国の教育制度を嫌い子弟に早期英語教育を受けさせるために移民する「教育移民」が増加している。 韓国移民が集まる町にはキリスト教会が建てられ、韓人会が組織される。また自営業者が多いので、米国商工会議所に韓人支部が設けられることもある。韓国移民の大規模集住都市では韓国系のラジオ・テレビ局が設立され、韓国語放送を行っている。
歴史
<第1期>
朝鮮と米国の外交関係は1882年の朝米修好通商条約(翌年批准)によって開始され、1903年1月13日には朝鮮から米国への最初の移民がハワイに到着した。第1期のハワイ移民は韓国内の米国系キリスト教会によって組織されたため、クリスチャンが多く、日系人同様、大部分は砂糖キビ農園で働いた。しかし、1905年に日本が韓国の外交権を掌握すると、米国への移民は規制され、集団移民は停止した。この時期に約7千人がハワイへ移住し、大部分は男性労働者であった。ただ1924年まで写真見合いによって約1,000人の女性が個別に米国へ渡航した。(英語でピクチャー・ブライドという。)
1904年から1907年にかけて約1,000人の韓国人がハワイからサンフランシスコに渡り、移民の波は米本土に広がった。1909年にはサンフランシスコで最初の韓国人政治組織である韓人協会が設立され、のちに日本の植民地支配に対する抵抗を訴えるに至った。
<第2期>
朝鮮戦争終結から第2期の移民の波が始まる。1953年から1963年にかけての第2期の移民は米軍人と結婚した韓国人女性や養子として引き取られた戦争孤児であった。この時期に養子として海を渡った者だけでも約15万人と推定されている。ただ、軍人の妻にしても養子にしても最初からアメリカ人の被扶養者として入国するので、移民として扱われず、正確な統計は掴めない。
海外へ引き取られる韓国人養子の問題はこれまでほとんど注目を集めなかったが、1991年にスウェーデンの韓国人養子を取り上げた映画『スーザン・ブリンクスーアリラン』(日本題:スーザンブリンクのアリラン)が公開されて韓国内でも大きな反響を呼び、1998年に金大中大統領が海外の成人養子29人を青瓦台に招待して、韓国が育てられなかったことを公式に謝罪した。
<第3期>
1965年の米国移民法改正によって韓国移民が米国に入りやすくなった現在までが第3期である。移民法改正後、米国は韓国を同盟国として扱い、比較的大きな移民枠を設けた。1965年の韓国系アメリカ人数は約2.5万人であったが、1970年には5万人、1980年には35.7万人、1990年には70万人と膨れ上がった。とりわけ1980年代に約35万人が韓国から米国に渡っている。
この時期の移民は経済的理由だけでなく、北朝鮮との戦争の危険や国内の軍事独裁政権を嫌って移民する者も多かった。このため、韓国人移民は単身労働者ではなく、本国で貯蓄したある程度の資金をもって家族ぐるみで渡航する傾向が見られる。米国各地にコリア・タウンが形成され、"パパママショップ"と呼ばれる低所得者向けの個人商店や、クリーニング屋に従事する者が多い。
【基礎知識の最新記事】

